

−−:池川茶業組合さんは茶農家さんが集まった集団と聞きましたが、
なぜ組合を作ろうということになったのですか?
竹村:将来的に集約農業にと国や町の考えがあって、そういう話が出たみたいです。
小さい工場やと重労働やきね。
2週間ぐらいは家族が寝れんし、嫁さんが一番たいへん。
家事をせないかんし苦労がいくがです。
お父さんは、茶を採ってもんで終わりやけど。
昔は山の上まで畑があって、
親は朝から晩まで歩いて山の上に行って畑をやっていた。

−−:そこで何軒かの茶農家さんが一緒になろうと決めたのですね。
竹村:いやね、茶業組合になるっていうのを決めたのは、
うちの家のおじい、親父なんだけどね。
僕は今でいうUターンで。
北海道から沖縄まで回って、特殊なビルのメンテナンスやってました。
明治や大正のビルの保存、原爆ドームも接着剤でくっつけてるんだけど、
そういうのをやってました。
−−:いきなり、ちょとおもしろくて話がそれそうなのですが、
なぜ戻ってくることに。
竹村:親父がね、年がいったし、長男やし帰って来いって。
それとちょうど、茶業組合で工場を作るというのもあって。
−−−おいくつの時ですか?
竹村:46歳の時。
−−:住んでいる私が言うのもなんですが、
あの、この山しかないところに戻ってこられるって、ご家族の反応は?
竹村:嫁は、寺村の前で「こんなところに人住んでるの?山を見て生きて帰れんって。」ははは。

−−:山は高いし険しいし、夜は真っ暗ですしね。
それで、お父様の代わりにメンバーに入ったんですね。
竹村:茶栽培はまわりの人はみんな何十年もやっているけど、実は僕は一から。
親父はおったけど、なんちゃ教えてくれんかった。
おまえにやったんやから俺は知らんって一回も出てこんかった。
けど、一切何も言わんかったよ。
−−:工場ができてどうでしたか?
竹村:最初の1年は機械に慣れなくてたいへんだったけど、
家でやってるのだったら、たぶん跡を継げんかったね。
嫁さんに「帰る」ってよう言わんかったと思う。
組合だったら、僕が工場行くだけで済むからね。
って、結局は嫁さんも畑行ったけどね。わはは
−−:笑 逆にたいへんだったことは?
竹村:これあんまり言われんけど、人間関係やね。
−−:そこはあんまりふれないようにします。
みなさん今まで個人で茶工場持っていた方もいますし、
いろいろな思いがありますよね。
その、人が増えたということは、
いろんなお茶の葉が工場に来るということだと思うのですが、
なにかコントロールしているのですか?

竹村:うん、僕らは肥培管理からきちっとやってるからね。
−−:肥培管理?
竹村:栽培のところからね、みんな肥料は統一して
同じ時期にまいて、同じ芽あいで採る。
等級を工場でつけている。
毎日みんなで葉っぱの審査をして、
虫がついてるやつや病気のものは他のコンテナに移すんです。
へんなのがまざるとダメになるから、厳密に分けて製茶する。
−−:ちなみに農協さんとは違うんですか?
竹村:農協は全部いっしょくたにもむから単価が下がるんです。
小さい葉っぱが渋みがなくていいのだけど、
小さいのと大きなのがまざると800円に、
小さいのだけなら1200円になる。
そうやって等級をつけることで生産者さんにも意識してもらってる。

−−:みなさん意識が高いですよね。
竹村:そりゃ、みんな20〜30年もやっとプロやから。いいもの作ろうって。
俺だけや素人は。わはは。
親父もみんなええお茶作りよったからね。
−−:最初から商品として「池川一番茶」を販売していたのですか?
竹村:静岡に出すお茶の単価が下がってね。
そこでやり始めた。

−−:自分が今までどこのお茶を飲んでいたか意識したこともなかったけれど、
すごくおいしいんですが、なにが違うんですか?
竹村:やっぱりね、僕が思うにね。
問屋さんは、いろんなところのもんをブレンドしているからね。
どこのお茶を使ってどういうブレンドをしているかわからない。
−−:ブレンド…。コーヒーと同じですね。
その店、その店でブレンドしていたんですね。お茶も。
竹村:その点、うちのは茶農家が作った等級が高い葉だけで作っているからそりゃいいよ。
直に作りよるからね。
僕らは直に商品を作っている。だましてない。
−−:そういうことだったんですね。
竹村:うん、だからね、今は静岡へ送りゆうのと半々やきね。
静岡に出さんでも小売りで仁淀川のお茶がいけるようになったらね、
後継者もできるんやろうね。
−−:そうか。このによどがわ販売サイトも貢献できるようにします!
どうもありがとうございました。